多賀城南門と南門に取り付く築地塀が復元されました。時期は国宝多賀城碑に修造と記された第2期です。建物の規模は、発掘調査の成果と奈良時代の現存する建物等を参考に建築しました。
歌枕コース
歌枕コースA
見逃せないスポットをご紹介
ガイダンス
徒歩
1分

1
多賀城南門
(たがじょうなんもん)
徒歩
1分

2
国宝多賀城碑
(こくほうたがじょうひ)
徒歩
7分
奈良時代の古碑。碑面には多賀城碑の創建や修造について刻まれています。歌枕「壺碑(つぼのいしぶみ)」とも呼ばれ、 松尾芭蕉が訪れ、碑と対面した感激を 「おくのほそ道」に書き残しています。令和6年8月国宝に指定されました。

3
浮嶋神社
(うきしまじんじゃ)
徒歩
15分
小さな丘の上に神社があります。周囲に民家がない時代は、まさしく浮島のように見えたことでしょう。創建年代は不明ですが、多賀城が栄えた平安時代には既に存在したと伝えられています。

4
多賀城廃寺
(たがじょうはいじ)
徒歩
10分
多賀城とともに建立された付属の寺。 太宰府観世音寺(だざいふかんぜおんじ) と建物の配置が同じであり、 観音寺(かんのんじ)と墨書された土器が見つかったことから寺名は観音寺ではないかと考えられています。 史跡公園として全国で2番目に整備されました。

5
大伴家持歌碑
(おおとものやかもちかひ)
徒歩
5分
万葉集の代表歌人である大伴家持が、陸奥按察使兼鎮守将軍 (むつあぜちけんちんじゅしょうぐん)として多賀城に来任したことを追慕(ついぼ) し、永遠に顕彰するため市民の芸術文化活動の場である文化センター敷地内に建立したものです。

6
おもわくの橋
徒歩
7分
野田の玉川にかかるおもわくの橋は、安倍の待橋(あべのまつはし) とも呼ばれています。 前九年の役で知られる安倍貞任(あべのさだとう)がおもわく姫に想いを寄せ、この橋を渡って通ったという伝説が残されています。

7
野田の玉川
(のだのたまがわ)
徒歩
15分
塩竈市の大日向 (おおひなた)に源を発し、多賀城市留ヶ谷 (とめがや)を通り、砂押川に注ぐ小さな流れが野田の玉川です。古来より歌枕として多くの歌に詠みこまれ、六玉川の一つに数えられています。

JR仙石線 多賀城駅
歌枕コースB
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JR仙石線 多賀城駅
徒歩
1分
1
喜太郎神社
(きたろうじんじゃ)
徒歩
2分
喜太郎神社は、天童氏が山形から多賀城八幡に移り住んだ際に、この地に建てられたものです。天童氏が国分氏を頼り落ち延びた時、喜太郎という足軽に窮地を救われたという伝説が残されています。

2
末の松山
(すえのまつやま)
徒歩
3分
末の松山は、古来より多くの人々に親しまれた、みちのくの代表的な歌枕です。松尾芭蕉は「おくのほそ道」に、末の松山に接しての感動を記しています。

3
沖の石
(おきのいし)
徒歩
20分
末の松山付近の住宅地の中に奇石が連なる池が歌枕の沖の石です。「おくのほそ道」 の旅の途上、松尾芭蕉らは、この地を訪れています。また、 仙台藩四代藩主伊達綱村 (だてつなむら)によって、保護を受けていたことが知られています。

4
野田の玉川
(のだのたまがわ)
徒歩
7分
塩竈市の大日向 (おおひなた)に源を発し、多賀城市留ヶ谷 (とめがや)を通り、砂押川に注ぐ小さな流れが野田の玉川です。古来より歌枕として多くの歌に詠みこまれ、六玉川の一つに数えられています。

5
おもわくの橋
徒歩
10分
野田の玉川にかかるおもわくの橋は、安倍の待橋(あべのまつはし) とも呼ばれています。 前九年の役で知られる安倍貞任(あべのさだとう)がおもわく姫に想いを寄せ、この橋を渡って通ったという伝説が残されています。
