末の松山

平安時代(8世紀から12世紀)の昔から「歌枕」として遠く都の人々にも知られてきました。大きな津波が襲っても「末の松山」を越えることはできない、とのいわれから、越すに越せない大きな存在を意味するようになったとされます。
「きみをおきて あだし心を わが持たば 末の松山 浪もこえなむ」-古今和歌集 東歌/
「うらなくも 思ひけるかな 契りしを 松より波は こえじ物ぞと」-源氏物語 …など、
末の松山を詠んだ歌は数多く残されています。

住所
多賀城市八幡2丁目8番28号