思惑橋(おもわくばし)
思惑橋(おもわくばし)

いまも多賀城に残り、歌枕としても知られている「野田の玉川」。この小さな川が留ヶ谷(とめがや)まで来ると橋が架かっており、「思惑橋(おもわくばし)」または「安倍待橋(あべのまつはし)」とも呼ばれています。
昔、安倍貞任(あべのさだとう)がこの地にあった時、見染めた女に通うため渡った橋なのでこの名があるといわれています。
また、橋を渡る時に、貞任が乗っていた馬の蹄(ひずめ)の跡を踏むと、誰でも必ず踏み抜いたという言い伝えも残されています。
それらとは別の、悲しい物語も伝わっています。安倍宗任(むねとう)が捕らえられ、虜囚として都に送られるとき、その妻がこの地まで追って来たものの会うこともかなわず、とうとう橋の上で涙を流したといいいます。